いじめ問題。被害者を責める社会から抜け出すために

コラム

いじめのニュースを見るたびに、胸が痛みます。
文部科学省の「令和5年児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によれば、いじめの認知件数は73万件を超えています。暴力行為は約10万件、不登校の子どもは34万人以上、そして自ら命を絶った子どもが397人もいました。
これは単なる数字ではありません。ひとつひとつに、泣いている子どもと苦しんでいる家族がいます。

いじめというと、子ども社会の問題だと考えられがちです。ですが、実際には大人の社会にもあります。職場、地域、SNSなど、どこにでも存在します。つまり、いじめは「社会全体の問題」です。子どもたちは大人の社会を映す鏡です。大人社会のいびつさや弱者への扱いが、そのまま子ども社会に再現されています。

いじめの被害者には、さまざまな特徴があります。社会階級が低い人、見た目が他と違う人、趣味や考え方が少し変わっている人、内向的でおとなしい人、経済的に恵まれない人──。つまり「他と違う人」「立場が弱い人」が狙われやすい傾向があります。
しかし、時には特別な理由もなく、目立たず平均的な子がいじめられることもあります。これはつまり、「加害者がいじめたいだけ」なのです。そこに正当な理由などありません。

ここで、はっきり言いたいことがあります。
いじめは加害者が悪い。
被害者は悪くありません。

ところが日本では、なぜか被害者側が苦しむ構造があります。いじめが起きても、転校するのは被害者です。心に深い傷を負い、治療を受けるのも被害者です。ニュースでは被害者の名前や顔が出るのに、加害者は守られます。これは明らかにおかしいことです。
これでは「いじめの二次被害」です。

一方、海外では加害者が罰せられたり、強制的にカウンセリングを受けたりする国もあります。日本でも、加害者に対して適切な処置を行う仕組みを整えることが必要でしょう。罰するというよりも、再発防止と人権教育の一環として治療的支援を受けさせることです。

もちろん、いじめの定義には注意も必要です。
いじめ防止対策推進法では、いじめとは「心理的または物理的な影響を与える行為で、被害者が心身の苦痛を感じているもの」とされています。つまり、被害者の感じ方で判断される面があります。
だからこそ、被害者が自分の身を守るためには「記録」や「証拠」が重要になります。日記に書き残す、スマートフォンでやり取りを保存する、信頼できる大人に話す──。それらが客観的な事実を示す手段になります。

社会全体でいじめをなくすには、まず「大人社会のいじめ」を減らすことが出発点です。
職場でのパワハラ、SNSでの誹謗中傷、地域での排除。これらが日常的に起きている限り、子どもに「いじめはだめ」と言っても説得力がありません。
大人が弱い立場の人を守り、他人を尊重する社会を見せること。それが子どもへの最も強い教育になります。

同時に、学校ではいじめ防止教育を徹底することが必要です。授業で人権について考え、ロールプレイで相手の立場を想像する。感情の言語化や共感力を育てる教育は、これからの時代に欠かせません。
それでもいじめが起きた場合は、被害者の安全と安心を最優先にすること。そして、加害者には法的な措置やカウンセリングを義務づけ、責任を取らせることです。また、その保護者にも一定の説明責任や教育的支援を求める必要があるでしょう。

そして忘れてはいけないのは、「いじめは犯罪にもなり得る行為」であるということです。他人の権利を奪い、人生を狂わせる行為です。
加害者になってしまう前に「悪いこと」だと認識する仕組みを整えなければ、いじめはなくなりません。

被害者に必要なのは、支えられる環境です。「あなたは悪くない」「あなたは守られる」というメッセージを、家庭でも学校でも社会でも伝えていくこと。その積み重ねが、いじめのない未来につながります。

私たち大人がまず行動すること。
他人を尊重し、違いを受け入れる社会をつくること。
そして、いじめの責任は被害者ではなく加害者にあることを、子どもたちに教え続けること。
そうした教育を通じて、希望ある社会が生まれるのではないでしょうか。