子育ての正解は一つではありません。家庭の数だけ、親子の形があります。けれどどんな環境でも共通して大切なのは、親が「教える」ことよりも「見守る」姿勢を持つことだと思います。
親が先回りして教えすぎると、子どもは「自分で考えるよりも、親が答えをくれる」と学んでしまいます。いわば「転ばぬ先の杖」を常に渡されているような状態です。安全かもしれませんが、自分で転んで立ち上がる力は身につきません。
見守る力とは、放っておくことではありません。むしろ子どもをよく観察し、何に興味を持ち、どんなことに心を動かしているのかを敏感に感じ取る力です。そして、その興味を刺激するような環境を整えたり、さりげなく情報を与えたりすることです。たとえば、虫が好きな子どもに「図鑑を買ってあげる」のではなく、「庭に出て一緒に虫を探してみよう」と声をかける。そこから子ども自身が「もっと調べたい」と言い出した時が、本当の学びの始まりです。
一方で、「放置」と「見守り」を混同してしまう親も少なくありません。放置は、環境を整えず、関心を持たず、ただ子ども任せにすることです。それでは好奇心の芽が出にくく、せっかく芽生えても育ちません。親が見ていないと感じると、子どもは「どうせ誰も気づかない」と感じ、挑戦する意欲を失ってしまうことがあります。
見守るとは、距離を取りながらも、いつでも支えられる位置にいることです。親の視線が届いている安心感が、子どもの自己肯定感を育てます。
子どもは、自分のやっていることを親に「見てもらっている」「認められている」と感じることで、自信を持ちます。たとえば、絵を描いて「見て!」と言ってきたとき、親が「上手だね」と言うよりも、「この色を選んだのはどうして?」と聞いてみる。そうすると子どもは、「自分の考えを聞いてもらえた」と感じ、次の表現意欲につながります。
このような対話が積み重なると、子どもは「自分の感じ方や考え方に価値がある」と信じるようになります。これこそが自己肯定感の土台です。
とはいえ、「見守る」ことは簡単ではありません。親にも焦りや不安があります。
「うちの子、勉強が遅れているのでは?」
「他の子はもうできているのに、なぜうちは…?」
そんな気持ちになるのは自然なことです。けれども、焦って「教える」ことで、子どものペースを奪ってしまうことがあります。親の期待を押しつけられた子どもは、自分で考えるよりも「正解を当てる」ことに意識が向いてしまいます。これでは個性は伸びません。
子どもが何かを始めた時、それが失敗しそうでも、まずは見守ること。途中で助け舟を出したくなる気持ちを、ぐっとこらえる勇気が必要です。失敗しても、それを通して学ぶことこそが成長の糧になります。「失敗しても大丈夫」「やってみていいんだ」と思える環境こそ、子どもの挑戦心を育てます。
見守ることは、受け身のようでいて、実はとても“能動的”な行為です。観察し、タイミングを見計らい、必要なときにだけ手を差し伸べる。
クリエイティブの仕事に携わる人なら、この感覚に共感できるかもしれません。良いディレクターやプロデューサーも、チームを信じ、必要以上に口を出さず、個々の発想を伸ばすことを重視します。子育てもまったく同じです。コントロールではなく、信頼と観察によって成長を支える。その姿勢が、子どもの個性をのびのびと開花させます。
親が一歩引いて見守ることは、決して無関心ではありません。むしろ深い関心と理解の表れです。子どもの世界にすぐに手を出すのではなく、その世界の入口に立って、静かに灯りをともすような存在でありたい。
その灯りを頼りに、子どもは自分の道を歩き始めるのです。
