子どもたちは本来、学ぶことが好きです。知らないことを知る。できなかったことができるようになる。自分の世界が広がる。そうした体験そのものが、学びの喜びです。
けれど今、多くの子どもたちは「評価」に追われています。テストの点数。偏差値。ランキング。成果を急いで求める環境の中で、学びが「やらされるもの」になり、楽しむ余裕が失われつつあります。
学校では、同じ漢字を何度も書き、ひたすら計算問題を解くことがあります。これ自体は、練習として意味がある場面もあります。ですが、電子辞書や電卓、パソコン、そしてAIが生活に溶け込む現代を考えると、従来の学習内容や方法だけでは時代にフィットしない部分もあります。
原理・原則を学ぶこと自体は大切です。しかし、規則性の高い作業はコンピューターの得意分野です。四則演算のテストを電卓を使って行う国や地域も、今後増えていくでしょう。
であれば、電卓でできることは電卓に任せ、人間はその先を学ぶ必要があります。
そして、人間にはAIにはない「体」があります。肌で感じる空気、微妙なニュアンス、温度、匂い、視線の動き。数値化しにくい情報を全身で受け取る力があります。これはフィジカルを持つ人間だけの特徴です。
一方、AIはときに「ハルシネーション」を起こします。自信満々に間違った答えを出すこともあります。便利なツールではありますが、万能ではありません。だからこそ、人間が持つ感性や判断力は、むしろこれから価値が高まるでしょう。
時代が変われば、学びの意味も変わります。かつては遊びだったゲームが、今では実況動画で収入を得る人がいたり、eスポーツとして競技になったりしています。
ハンドメイドやクラフト、フィギュア制作のような趣味も、今ではECサイトで販売できる時代です。
AIの進化により、コードを書けなくてもアプリやゲームを1人で作ることも可能になってきました。
「良い大学に入り、良い企業に入れば安泰」という価値観は、すでに揺らいでいます。むしろ、そのルートに乗ることだけが安心につながる時代は、100年も続かなかったのではないでしょうか。
今は、学んだことが明日には陳腐化するほど、社会の変化が速い時代です。
となれば、生涯学び続けることが重要です。学び続けるには、そもそも学ぶことを楽しむ気持ちが必要です。好奇心も必要です。
そして、自分の学びが未来につながっていると信じられる自己肯定感や自信も欠かせません。
さらに言えば、新しい一歩を踏み出すには勇気が必要です。
既定路線から外れることが不安な子どもや親も多いでしょう。
だからこそ、「楽しい学び」の体験を増やし、挑戦しても大丈夫だと感じられる環境づくりが求められます。
料理にたとえると分かりやすいかもしれません。
調理器具が進化し、電化が進んだことで、時短ができるようになりました。その結果、新しいメニューや調理法も生まれました。
けれど、すべてを失ったわけではありません。鰹節から出汁を取る方法も、魚をさばく技術も残っています。むしろ専門性が高まったとも言えます。
選択肢が広がり、料理の楽しみ方が多様になったのです。
学びも同じです。
電卓を使う。パソコンを使う。AIを使う。
便利なものは活用しつつ、人間にしかできない感性を伸ばす。
そうした「楽しむ教育」によって、子どもたちの未来の選択肢は増えます。活動の幅も広がります。
そして、評価を越えたところで、本来の学びの喜びが取り戻されるのではないでしょうか。
