かつての学校教育では、「正しい答えを出すこと」が最も重視されていました。
テストの点数が高いほど優秀、間違いが少ないほど評価が高い。
そんな価値観が長く続いてきました。
しかし、いま社会に出ると、はっきりとした「正解」がない問題ばかりが待ち受けています。
たとえば、働き方をどうするか、子育てと仕事をどう両立するか、AIとどう共存するか。
これらは誰かが用意した答えではなく、自分で考え、自分なりの答えをつくることが求められる問題です。
このような時代に必要なのは、「課題を解く力」よりも「課題を見つける力」、すなわち課題発見力です。
課題発見力とは、身の回りの現象や違和感に気づき、「なぜ?」「どうして?」と問いを立てる力のことです。
それは観察力や想像力、そして批判的思考の積み重ねによって育まれます。
情報があふれる時代だからこそ、「その情報は本当か」「別の視点はないか」と考える習慣が欠かせません。
AIがどんなに発達しても、“問いを立てること”だけは人間にしかできない行為なのです。
では、子どもたちにこの「課題発見力」を育むにはどうしたらよいのでしょうか。
まず大切なのは、間違いを恐れない環境をつくることです。
日本の教育では、どうしても「間違う=悪いこと」というイメージが根強く残っています。
しかし、間違いは学びの始まりです。
失敗を通して、「なぜそうなったのか」「次はどうしたらいいのか」と考えることで、思考が深まります。
正解がひとつしかない問題では、この成長のチャンスが奪われてしまうのです。
次に、問いを育てる対話が重要です。
たとえば子どもが「どうして空は青いの?」と聞いたとき、すぐに答えを教えるのではなく、
「どうしてだと思う?」と聞き返してみる。
その一言で、子どもの思考が動き出します。
自分で考え、仮説を立て、調べ、確かめる。
このプロセスこそが「課題発見力」を育てる基本なのです。
教育の現場でも、この流れは少しずつ変わり始めています。
探究学習やプロジェクト型学習では、子どもたちが自分の興味からテーマを決め、調べ、発表します。
最初はうまくいかなくても、「自分で考える経験」を積み重ねることが、将来の創造的な思考力へとつながります。
また、課題発見力は単に“知識”ではなく、感性や共感力とも深く関係しています。
社会の問題や他人の困りごとに目を向け、「このままでいいのか?」と感じる心が、問いを生み出します。
その意味で、アートや読書、自然体験など、心を揺さぶる体験も欠かせません。
数字では測れない感性が、課題発見の出発点になるのです。
一方で、課題発見力を育てるうえで難しいのは、「大人が先回りしすぎないこと」です。
親や教師がつい手を出してしまうと、子どもは「聞けば答えがもらえる」と思ってしまいます。
もちろん、まったく放っておくのも違います。
大切なのは、考えるプロセスを支える姿勢です。
答えを与えるのではなく、「どう思う?」「他にどんなやり方があるかな?」と問いを返す。
そのやり取りの中で、子どもは「自分で考える力」を少しずつ身につけていきます。
また、課題発見力は大人にとっても必要な力です。
クリエイティブやマーケティングの仕事では、明確な正解は存在しません。
「どんな課題があるのか」「誰にとって価値があるのか」を考える力こそが、企画や発想の源になります。
AIツールが発達しても、その問いの質が低ければ、AIから得られる答えも浅いものになります。
だからこそ、人間の側が「問いの設計者」であることが重要なのです。
社会の課題は、ひとつの解決策では対応できません。
多様な立場や価値観を理解し、異なる答えを尊重することが、共に生きる力を育てます。
子どもが将来、他者と協働しながら新しい解をつくり出すためにも、「正解のない問題」に向き合う経験を増やすことが欠かせません。
これからの時代、知識を覚えるだけではなく、問いを立てる力が生きる力になります。
どんなにAIが進化しても、「なぜ」「どうして」と考える人間の知的好奇心はなくなりません。
むしろAI時代だからこそ、人間にしかできない“考える力”が問われています。
その第一歩は、日常の中で「おかしいな」「気になるな」と感じたことを大切にすることです。
そこに、未来を変える問いの種が眠っているのです。
